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「1990年代の名古屋での夏期講習」の想い出。 [ザ・ピンチ。コード2023年(令和5年)]

令和5年(2023年)7月23日(サンデー)号:


人生「回想」日誌:


・・・・・・我が59才超えの夏休み

を迎え、

1990年代の「残像」が、急に、頭に浮かんだ

ので、

忘れないうちに、この世に生きるうちに、ここに、書き留めておこう。。。。


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・・・・・・1990年代、

当時、名古屋駅前に、早稲田予備校が、在った

のである。

河合塾の本拠地ではあるが、代ゼミと、早稲田予備校も、出来ていたのであった。



・・・・・・ボク自身は、

1987年1月4日に、(学校法人)早稲田予備校の高田馬場・本校の大教室の教壇にデビューしたのだが、

その後、まもなく、「実力派・超人気カリスマ英語講師」となり、当予備校のパンフレットにも、紹介されるようになった。


・・・・・・そうして、夏休みになると、

「ナゴヤ早稲田予備校」の「夏期講習」にも、「東京のカリスマ英語講師」として、招かれるように、なった。

「夏期講習のテキスト類、および、熱血講義の準備に必要な英英辞典、英文法の研究書の類い、吸入器をはじめとする道具一式」を、まるで甲子園球場に向かう高校生のように、「旅行用の巨大なショルダーバッグ」に詰め込んで、背負って、練馬区に在った我が旧事務所を、前夜に、出発する。

東京駅から、東海道新幹線に乗ると、2時間ほどで、JR名古屋駅に、着いた。

宿泊先は、(当時)予備校指定の駅前の名鉄グランドホテルだった。年に2度、夏期講習と、冬期講習の計10日間ほどだけの宿泊だったので、ほぼ毎晩、ひとりで、ホテル内の中華料理店で、美味な夕食を満喫したと「記憶」する。


・・・・・・夏期講習中は、

人気講師は、当時、スケジュールがびっしり詰まっていて、「授業準備に追われていた」ので、どの講師も、授業後は、ゆっくりと休んでいたものだが、そのタームの授業準備が終わると、ほんの少しだけ気持ちの余裕が生じて、「先生、偶には、一緒に、飯でも?」と、声を掛け合い、当該中華料理店で、食事をした日が、各一日だけだが、あったのだ。尊敬する松本育賢講師や小林弘講師、それに、尾崎守校長とも、会食した記憶がある。松本育賢先生は、その後、お会いする機会は一度もないのだが、「先生のオリジナルテキストの出来の素晴らしさ」に感動。小林弘先生とは、「夏期英語合宿」を、早稲田予備校において初めて成就(*もちろん、守谷たつみ理事長賛同あっての開催)。伊藤琢哉先生とは、たしか、「栄」という繁華街を案内していただき、たった一度だけだが、心行くまで、飲んで、語り合った。


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関井光男先生(*当時「現代文の超人気実力派講師」)とも、名古屋校で、夏期講習タームに、一週間だけ、お会いする「偶然」が生じた。日々の研究に忙しい先生だったので、名古屋では、会食する暇は、なかった。・・・・・・実は、その年度は、「ナゴヤ早稲田予備校に、夏期講習生が、少人数しか集まらない、ややピンチの夏」を、迎えていた。


・・・・・なので、ボクが、関井先生に、

◆「東京本校では、教室が満席なのに、名古屋に来ると、教室が、閑散としているので、盛り上がりませんね???」

と、休み時間に講師室で、話しかけると、


・・・・・・意外なことに、関井先生の口からは、

★★★「いや~、少人数だと、ボクは、授業に、燃えるね!!!」

とか、

間髪を容れずに、答えが、飛び出てきたのだった!!


・・・・・・休み時間が終わり、授業が始まったので、

「ほんとうに、燃えているか」

自分の眼で、教室の覗き窓まで、確かめにいくと、

★★★関井先生は、閑散とした教室の教壇上で、左右に、歩き回りながら、大きい声で、独特の口調で、本文を読みつづけ、決して、歩きをやめない。


・・・・・・その「燃え方」と「本文の特徴ある読み方」が、今でも、目に耳に心に、焼き付いています。


(話者:井川治久。元・早稲田予備校・英語科講師。現・井川塾・受験英語学院:塾長。)
TOKYO,JAPAN(都内・豊島区にて、記す。)




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2023-07-24 02:37  nice!(0) 
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