SSブログ
ザ・ピンチ・コード2022年(令和4年) ブログトップ

「1987年の想い出」予備校教壇デビューの年。 [ザ・ピンチ・コード2022年(令和4年)]

令和4年(2022年)11月28日(マンデー)号:



人生日誌:
「1987年の想い出」:



忘れもしない1987年1月4日
の「正月」に、
高田馬場の
(学校法人)早稲田予備校
13時ホールの大教室に、
「大学受験英語講師」として、
デビューした。

1987年当時、
★「予備校講師の服装」は、自由
とのことで、
リバティベルのスキーウェア
を着て、
講師室に入った。

1987年1月の当時、
★「予備校業界最年少講師」
であったため、
「学生」と見間違えられた。

大教室に行ってみると、
★200人以上の高校生・浪人生
が、
「冬期講習」の受講生として、
待ち構えていて、
★最初から「カリスマ人気英語講師」
と呼ばれた。。。。



・・・・・・その後、
ある日、
◆「人生で重要な説教話」
を、
有り難く、いただいた。

・・・・・・それは、

◆「若い頃は、人気がある講師」
であっても、
◆「30代半ばで、人気が落ちて」
行って、
◆「40代になると、生徒たちが
若い先生
の教室に、行ってしまう!」
といったことが、
起こりがちであるから、
◆「多くの英語講師は、45歳頃に
引退に追い込まれる」ことになる。


・・・・・・引退を選択しない
のならば、
つまり、
◆「フリーランスの受験英語講師」
を、
生涯続ける積もりでいるならば、

▲「下手に人気を取ろうとする」
のではなく、
★「受験英語を教える勉強をしてください!」

と、
当時の予備校業界では誰もが知っていた
秋田佳子校長に、
念を押された。。。。


・・・・・・そんな事が、ふと、思い出された今宵であった。


(話者:井川治久。元・早稲田予備校講師。現・井川塾受験英語学院塾長。)
TOKYO,JAPAN(都内・豊島区にて。)
*********************************************
*********************************************

追記:

1987年1月当初の「人生計画」では、45歳で、予備校業界を引退して、沖縄に移住するという「積もり」であった。

現実には、2000年12月13日に、「積もり積もった過労」で(当時の)代ゼミ池袋校の最上階の大教室の教壇でダウンして、事実上の予備校業界引退と相成った。

その後、
★ある「ドクターのすすめ」に従って、
★「スローライフ主義に転向」して、健康を取り戻した。


2022年11月末現在も、「親身のマンツーマン授業」を、継続中である。

★生徒に頼まれた教材の「研究」は、相変わらず、遂行している。


お世話になった皆様には、「心から感謝」したいと思います。



*****
*****


2022-11-29 01:34  nice!(0) 
共通テーマ:資格・学び

1985年の「新声社」を思い出した。。。。 [ザ・ピンチ・コード2022年(令和4年)]

2022年(令和4年)2月1日(火曜日)に、

BS-TBSで、『X年後の関係者たち あのムーブメントの舞台裏』(MC:カズレーザー)

という番組を、偶々見つけた。

「セガ(SEGA)のアーケードゲーム」の特集で、1985年のバイクゲーム『ハングオン』

などが登場したのだが、

この番組に、当時の『GAMEST(ゲーメスト)』(新声社・刊)というゲーム雑誌の(元)編集長の石井ぜんじさんという方も出演していた。

実は、この『ゲーメスト』の出版社であった(株)新声社から、

1985年7月1日に、

我が処女作:

早稲田・慶応らくらく突破シリーズ『[マル秘]英語暗記するだけ』(井川治久・著)

を、学生出版した。

「バブル時代」のさなかで、

書店に、数千部が、並んだ。

早稲田大学・英文科3年生の夏のことであった。

『ハングオン』が早稲田通りにかつて存在した「ビクトリア」というゲームセンターに登場したのと同じ年・・・であるということを、再認識して、懐かしい思いに耽った。

(話者:井川治久。早大英文科OB。井川塾・受験英語学院・塾長。(元)学校法人・早稲田予備校カリスマ英語講師。大学受験英語学習参考書・著者。)

TOKYO,JAPAN

*****


2022-02-06 18:46  nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ゲーム

ザ・ピンチ・コード2022年(令和4年) ブログトップ

このブログの更新情報が届きます

すでにブログをお持ちの方は[こちら]


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。