迎春早朝の我が雑感。令和6年(著者:井川治久) [ザピンチコード2024年(令和6年)]
2024年(令和6年)1月1日(マンデー)元旦・特別号:
早朝5時30分:
謹賀新年:
ボクは近年においては「大学受験参考書」を書いてはおらず、
◆「マイベストプロ東京」のサイトに
◆「井川治久の、大学受験英語コラム」
を、認めて(したためて)いるのみです。
・・・・・・ときどき、
◆「朝日新聞」の「マイベストプロ東京」
の全面記事の中にも、登場しています。
◆2023年12月26日の朝日新聞の10面(東京版)
にも、ボクの顔写真が出ましたので、
お持ちの方は、
ご高覧ください。
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・・・・・・近年は、
コラム執筆に加えて、
◆「ナマ(対面)でのマンツーマン演習授業」に、専念、専心。
▲「映像」は、用いない。
●「音声教材」は、「CD」や「ダウンロード」の形で、各生徒の必要に応じて、学んでもらっています。
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・・・・・・四半世紀以上も前
のことなので、今だから、言える話だが、
▲むかし、「衛星中継の講座の担当」を「口約束」されて、その後「話が来なかった」ことがあった。完全に、裏切られた。
これは、「若い頃の自分の未熟さ」の所以(ゆえん)であり、
★「口約束を信じた自分が愚か」
だった。
・・・・・・それから、10年あまり経った時だったか、
▲別の処で「映像講座」の「話」があったのだが、
そのあと、なかなか「返事」が来ない。
そんな時に限って、「ナマ授業の依頼」でスケージュールがきつくなり、
そんな時に限って、1か月か2か月か経って「映像を撮りたいという返事」が来たが、
・・・・・・なんで、今さら・・・という感じで。
★先に引き受けた「確実な依頼」の方を、優先するのが、常識
だから、
▲「映像」のほうは、やむなく、断った。
・・・・・・そうして、さらに5~6年が経ち、
▲別の処で、「映像と音声を作る話」が舞い込んできたのだが、
▲「映像を撮ってもらう」のではなく「映像を作る」ということから「自分で作るには体力が足らない状況に陥る破目」になり、その後、音沙汰もなく、話自体が・・・・・・水泡に帰した。
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・・・・・・以上で、お解りのように、
◆なぜか、井川治久は、「映像」には、縁の薄い男
のようです。
・・・・・・そして、いま、令和の時代になって、
あらためて、考えてみると、
◆「映像授業」に出なくて、ボクの場合は、良かった!
という「結論」に至っています。
◆きっと「神様」が、そういう「運命」を授けてくれた
のだと、思います。
★「映像」に出れば、必ずしも「プラス」とは、限らない。
★「映像」に出て、「えっ、こんな程度!」と、思われてしまうと、「ナマ授業の受講者」の獲得には、つながりません。
***************
こういった理由で、ボクは、今のところ、
「ナマ授業」に専念、専心して、「ベストの演習授業」を、継続してるということです。
・・・・・・あとは、
2023年に「東京藝術大学に合格した教え子」
が、
・・・・・・ボク自身(著者自身)の知らぬ間に、
◆「井川治久の大学受験超基礎シリーズ」の中古本
を
◆「メルカリ」で、見つけてきた、買ってきたので、
★「著者、井川治久のお決まりのサイン」
を、その著書に、書いてあげたことがありました。
メルカリであれ、何であれ、
◆「井川治久の著書」の真価が分かり、大切にしてもらえる「読者」の方々
が存在することは、
幸いなことです。
・・・・・・この事に関係してか、
◆『英文法・語法めいぶん暗記法』(開拓社・刊)
も、
ふたたび、息を吹き返してきたような知らせ
も、あります。
◆開拓社の我が著書は、4冊、健在ですので、
こちらは、
開拓社で、お求めください。
良き2024年(令和6年)を!
(著者:井川治久。早大英文科OB。開成OB。豊島区の生まれ。豊島区にて。)
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(追記):
・・・・・・西武池袋線、「江古田駅、改札口の鏡」の下に、我が「井川塾・受験英語学院」の「広告」を出しております。こちらも、「マイベストプロ東京」の我がコラムと合わせて、ご高覧ください。
(追記、その2):
・・・・・・2023年師走下旬にも「同級生」が突然に他界するということがあり、「★59を過ぎた人間」なら、いつ往っても不思議ない。特に、ボク等の世代には、「★バブル時代に仕事に遊びに肉体を酷使した輩」が少なくない。ですから、ボク自身も、「★いつでも往く覚悟」は、とっくに、持っております。・・・・・・「★人生でやりたい事は、ほぼ全てやった」感じで、「人生の修羅場も幾度かくぐって」おり、特に、「今後の人生で何か体験したい事」は、ありません。・・・・・・だだ、この世に生きる限りにおいては、「★人様に迷惑をかける事は避けつつ、★平凡で平静な人生の日々を、恙無く(つつがなく)愉しみたい」とは思っています。
・・・・・・「★★★我が人生で、唯一の自慢」は、「★授業にだけは手抜きしたことがないこと」です。上述もしましたが、「準備時間の充分に取れない授業」は、1984年4月から、2024年の今日まで、すべて、引き受けるのを断ってきました。・・・・・・つまり、ボクは、「★やりたい仕事」「責任の持てる仕事」だけを選び、責任をもって引き受けてきたということです。ですから、「ボクに習った生徒」「教え子たち」は、「素晴らしい授業を受けた」ということになります。この点だけは、自信を持っているということです。
(以上、元旦の挨拶。)
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「1990年代の名古屋での夏期講習」の想い出。 [ザ・ピンチ。コード2023年(令和5年)]
令和5年(2023年)7月23日(サンデー)号:
人生「回想」日誌:
・・・・・・我が59才超えの夏休み
を迎え、
1990年代の「残像」が、急に、頭に浮かんだ
ので、
忘れないうちに、この世に生きるうちに、ここに、書き留めておこう。。。。
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・・・・・・1990年代、
当時、名古屋駅前に、早稲田予備校が、在った
のである。
河合塾の本拠地ではあるが、代ゼミと、早稲田予備校も、出来ていたのであった。
・・・・・・ボク自身は、
1987年1月4日に、(学校法人)早稲田予備校の高田馬場・本校の大教室の教壇にデビューしたのだが、
その後、まもなく、「実力派・超人気カリスマ英語講師」となり、当予備校のパンフレットにも、紹介されるようになった。
・・・・・・そうして、夏休みになると、
「ナゴヤ早稲田予備校」の「夏期講習」にも、「東京のカリスマ英語講師」として、招かれるように、なった。
「夏期講習のテキスト類、および、熱血講義の準備に必要な英英辞典、英文法の研究書の類い、吸入器をはじめとする道具一式」を、まるで甲子園球場に向かう高校生のように、「旅行用の巨大なショルダーバッグ」に詰め込んで、背負って、練馬区に在った我が旧事務所を、前夜に、出発する。
東京駅から、東海道新幹線に乗ると、2時間ほどで、JR名古屋駅に、着いた。
宿泊先は、(当時)予備校指定の駅前の名鉄グランドホテルだった。年に2度、夏期講習と、冬期講習の計10日間ほどだけの宿泊だったので、ほぼ毎晩、ひとりで、ホテル内の中華料理店で、美味な夕食を満喫したと「記憶」する。
・・・・・・夏期講習中は、
人気講師は、当時、スケジュールがびっしり詰まっていて、「授業準備に追われていた」ので、どの講師も、授業後は、ゆっくりと休んでいたものだが、そのタームの授業準備が終わると、ほんの少しだけ気持ちの余裕が生じて、「先生、偶には、一緒に、飯でも?」と、声を掛け合い、当該中華料理店で、食事をした日が、各一日だけだが、あったのだ。尊敬する松本育賢講師や小林弘講師、それに、尾崎守校長とも、会食した記憶がある。松本育賢先生は、その後、お会いする機会は一度もないのだが、「先生のオリジナルテキストの出来の素晴らしさ」に感動。小林弘先生とは、「夏期英語合宿」を、早稲田予備校において初めて成就(*もちろん、守谷たつみ理事長賛同あっての開催)。伊藤琢哉先生とは、たしか、「栄」という繁華街を案内していただき、たった一度だけだが、心行くまで、飲んで、語り合った。
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関井光男先生(*当時「現代文の超人気実力派講師」)とも、名古屋校で、夏期講習タームに、一週間だけ、お会いする「偶然」が生じた。日々の研究に忙しい先生だったので、名古屋では、会食する暇は、なかった。・・・・・・実は、その年度は、「ナゴヤ早稲田予備校に、夏期講習生が、少人数しか集まらない、ややピンチの夏」を、迎えていた。
・・・・・なので、ボクが、関井先生に、
◆「東京本校では、教室が満席なのに、名古屋に来ると、教室が、閑散としているので、盛り上がりませんね???」
と、休み時間に講師室で、話しかけると、
・・・・・・意外なことに、関井先生の口からは、
★★★「いや~、少人数だと、ボクは、授業に、燃えるね!!!」
とか、
間髪を容れずに、答えが、飛び出てきたのだった!!
・・・・・・休み時間が終わり、授業が始まったので、
「ほんとうに、燃えているか」
自分の眼で、教室の覗き窓まで、確かめにいくと、
★★★関井先生は、閑散とした教室の教壇上で、左右に、歩き回りながら、大きい声で、独特の口調で、本文を読みつづけ、決して、歩きをやめない。
・・・・・・その「燃え方」と「本文の特徴ある読み方」が、今でも、目に耳に心に、焼き付いています。
(話者:井川治久。元・早稲田予備校・英語科講師。現・井川塾・受験英語学院:塾長。)
TOKYO,JAPAN(都内・豊島区にて、記す。)
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「1987年の想い出」予備校教壇デビューの年。 [ザ・ピンチ・コード2022年(令和4年)]
令和4年(2022年)11月28日(マンデー)号:
人生日誌:
「1987年の想い出」:
忘れもしない1987年1月4日
の「正月」に、
高田馬場の
(学校法人)早稲田予備校
13時ホールの大教室に、
「大学受験英語講師」として、
デビューした。
1987年当時、
★「予備校講師の服装」は、自由
とのことで、
リバティベルのスキーウェア
を着て、
講師室に入った。
1987年1月の当時、
★「予備校業界最年少講師」
であったため、
「学生」と見間違えられた。
大教室に行ってみると、
★200人以上の高校生・浪人生
が、
「冬期講習」の受講生として、
待ち構えていて、
★最初から「カリスマ人気英語講師」
と呼ばれた。。。。
・・・・・・その後、
ある日、
◆「人生で重要な説教話」
を、
有り難く、いただいた。
・・・・・・それは、
◆「若い頃は、人気がある講師」
であっても、
◆「30代半ばで、人気が落ちて」
行って、
◆「40代になると、生徒たちが
若い先生
の教室に、行ってしまう!」
といったことが、
起こりがちであるから、
◆「多くの英語講師は、45歳頃に
引退に追い込まれる」ことになる。
・・・・・・引退を選択しない
のならば、
つまり、
◆「フリーランスの受験英語講師」
を、
生涯続ける積もりでいるならば、
▲「下手に人気を取ろうとする」
のではなく、
★「受験英語を教える勉強をしてください!」
と、
当時の予備校業界では誰もが知っていた
秋田佳子校長に、
念を押された。。。。
・・・・・・そんな事が、ふと、思い出された今宵であった。
(話者:井川治久。元・早稲田予備校講師。現・井川塾受験英語学院塾長。)
TOKYO,JAPAN(都内・豊島区にて。)
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追記:
1987年1月当初の「人生計画」では、45歳で、予備校業界を引退して、沖縄に移住するという「積もり」であった。
現実には、2000年12月13日に、「積もり積もった過労」で(当時の)代ゼミ池袋校の最上階の大教室の教壇でダウンして、事実上の予備校業界引退と相成った。
その後、
★ある「ドクターのすすめ」に従って、
★「スローライフ主義に転向」して、健康を取り戻した。
2022年11月末現在も、「親身のマンツーマン授業」を、継続中である。
★生徒に頼まれた教材の「研究」は、相変わらず、遂行している。
お世話になった皆様には、「心から感謝」したいと思います。
*****
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1985年の「新声社」を思い出した。。。。 [ザ・ピンチ・コード2022年(令和4年)]
2022年(令和4年)2月1日(火曜日)に、
BS-TBSで、『X年後の関係者たち あのムーブメントの舞台裏』(MC:カズレーザー)
という番組を、偶々見つけた。
「セガ(SEGA)のアーケードゲーム」の特集で、1985年のバイクゲーム『ハングオン』
などが登場したのだが、
この番組に、当時の『GAMEST(ゲーメスト)』(新声社・刊)というゲーム雑誌の(元)編集長の石井ぜんじさんという方も出演していた。
実は、この『ゲーメスト』の出版社であった(株)新声社から、
1985年7月1日に、
我が処女作:
早稲田・慶応らくらく突破シリーズ『英語暗記するだけ』(井川治久・著)
を、学生出版した。
「バブル時代」のさなかで、
書店に、数千部が、並んだ。
早稲田大学・英文科3年生の夏のことであった。
『ハングオン』が早稲田通りにかつて存在した「ビクトリア」というゲームセンターに登場したのと同じ年・・・であるということを、再認識して、懐かしい思いに耽った。
(話者:井川治久。早大英文科OB。井川塾・受験英語学院・塾長。(元)学校法人・早稲田予備校カリスマ英語講師。大学受験英語学習参考書・著者。)
TOKYO,JAPAN
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1984年当時、東長崎駅には、塾は3つだけか。 [ザ・ピンチコード2021年(令和3年)]
令和3年(2021年)5月10日号:
◆「1984年から1987年の覚え書き」:
生まれた地元である
東京都豊島区長崎の自宅の6畳1部屋で、
ボク(井川治久)が英語塾を始めたのは、
1984年4月のことであった。
この当時、
西武池袋線の東長崎駅の周辺、
豊島区長崎、
および、
豊島区南長崎には、
主として、3つぐらいしか、学習塾はなかった
と記憶する。
その存在を近所の誰もが知っていたのは、
(1)「つかさ塾」
(2)「豊島学習教室」
であり、
(3)「井川受験英語塾」
というボクが1984年に同級生と一緒にビラ配り
をして始めた塾である。
(実は、一番最初に刷ったビラの時点では、
「早大・慶大セミナー」という塾名であった。)
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・・・・・・令和の時代になって、
(1)「つかさ塾」は、東長崎駅北口に移転。
(2)「豊島学習教室」は、かつては「紅梅」
という中華屋さんの近所にあったと記憶する
が、南長崎の商店街に移転したあと閉塾した
とのこと。
・・・・・・ボクの個人塾、
(3)「井川受験英語塾」は、
* 1984年~1988年に開塾していたが、
* 1987年1月から井川が高田馬場の
学校法人早稲田予備校の大教室の教壇に立ち、
1988年から早稲田予備校・東京本校および
仙台校の専任・英語科講師として
引き抜かれたために、
いったん解散。
* 2015年4月に、
「井川塾・受験英語学院」に改名して、
マンツーマン受験英語塾として、
2021年度・現在、週3日の開塾をしている
ものである。
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・・・・・・実は、1987年度の当時、
★ボク(井川治久)は「三足の草鞋(わらじ)」
を履いていた。
(1)午前中は、早稲田予備校の200人の
大教室で、大学受験英語の熱血講義を全力で
遂行し、
(2)午後は、早稲田大学・教育学部・
英語英文学専攻科に進学して
「英語学の研究」に熱中し、
(3)夜は、私塾である「井川受験英語塾」で、
5名クラスの受験英語の授業を2時間2コマ
(計4時間)担当していた。
*****
・・・・・・当時の「おもしろいエピソード」
があって、
▲1987年に早稲田予備校にデビューしたての
一年目だけは、
我が実力が評価されずに、1987年の1学期は、
一週間当たり
100分授業で3コマ半(3,5コマ)しか、
授業を担当させてもらえなかった。
・・・・・・そこで、1987年の夏休みは、
自分の塾「井川塾」で、
夏期講習の生徒を募集することに決めて、
生徒が集まっていた。
・・・・・・ところが、
当時の早稲田予備校の校長先生が、
早稲田予備校の夏期講習の方にも、
「井川クラス」を勝手に設置して、
生徒を集めてしまった。
★まさに、「ダブル・ブッキング」となって
しまったのだ!!!
・・・・・・こんなインシデントから、
★来年(1988年)からは、
早稲田予備校の専任になって、
好きなだけの授業のコマ数を担当してよい
と理事長が言ってますから・・・と、
校長先生に言われて、
「井川塾」の方を、1989年(平成元年)から
一時期やめる
という
「人生における選択肢」を、採ったのです。
★現在は、健在です。おかげさまで。
(話者:井川治久・塾長。早稲田大学英文科OB。
開成OB。「マイベストプロ東京」コラム著者。)
TOKYO,JAPAN(東京都・豊島区にて。)
*****
「井川の講義の録音テープ」の御話 [ザ・ピンチコード2020年(令和2年)]
令和2年(2020年)12月14日号:
人生日誌:
ある後輩の予備校の講師が、
ある予備校の英語講師の処に、
遊びに行ったら、
「秘密の本棚」みたいなスペース
があって、
「私の著書」がズラリと、
並んでいたとのこと。
それだけでなく、
高田馬場の早稲田予備校での
私の1990年代の全盛期の講義
の録音テープも在ったとのこと。
まあ、そんな事は、めずらしくない
予備校業界であった。
当時の大教室満席締め切りの人気講座は、
『井川治久の 英語らくらく突破ゼミ』
という単科ゼミ、
および、
『井川治久の 早大こだわり総合英語ゼミ』
という単科ゼミ。
今だから言える話としては、
★単科ゼミの受講者が最上階の大ホールで500人を突破した夏期講習会
では、
★(当時の)理事長先生が「大入り袋(★ a full-house bonus)
をくださったこと。
・・・・・・この時、受講者は、888人分の座席に、
800人以上は、いたのではないか。
(実際には、締め切り講座であったが、
あまりの人混みに、帰ってしまった生徒や、
「立ち見の人」も、数多くいた。)
ボク独自の講義は、
★「予備校業界一の早口」が「売り」
であったから、
★授業を「録音していた受講生」も、
十数人か、それ以上は、いたことであろう。
・・・・・・その中に、
「バイトの受講生」もいたハズ。
・・・・・・そんなワケで、
「わたくし井川の講義を録音したテープ」
が、当時、出回っていたということです。
懐かしい話ですね。
(話者:井川治久。TOKYO,JAPAN)
*****
「1990年代の早稲田予備校・大教室での熱血講義」の録画は? [ザ・ピンチコード2020年(令和2年)]
2020年(令和2年)10月12日(マンデー):
「秋」の日誌:
最近、
私の Twitter (ツイッター)に、
★1990年代の「早稲田予備校」東京本校での井川先生の「大教室での講義」の「録画」があったら、ぜひ、見たいです!
といったような問い合わせが、
複数ありました。
詳しくは、
早稲田予備校の現・理事長に聞いてみないと、
分かりませんが、
恐らく、無いと思われます。
ちなみに、
早稲田予備校の旧・仙台校の「100人規模の中教室での授業の録画」なら、どこかに、一本ぐらい、取っておいてあるかもしれませんが、 「教室のモニター」で撮った「白黒ビデオ(VHS)」なので、画像も音質も良くなく、公開して意味のあるモノではないでしょう。
「早稲田予備校の 旧パンフレット(旧・案内書)」なら、持っている人は、結構いると思いますよ。
★1990年代前半までの「予備校の全盛期」には、ほぼ誰もが「予備校の大教室は、いつまでも存在する」と当たり前のように思っていたでしょうから、「大教室での名物講義」を「歴史的記録」として録画し保存しておこうなどと考え付いた人は、
早稲田予備校には、いなかったのでは、ないでしょうか。
それだけ、平和で、のんびりしていたところが、早稲田予備校の良さでした。
当時、
★「元祖カリスマ英語講師」を務めていた私も、
一週間の「熱血講義」と「大学受験参考書の執筆」で、
多忙を極めていたため、
「自分の講義の録画」などには、気が付きませんでした。
現在のような
★「動画の時代」
を迎えるとは、誰に、想像できたでしょうか。
(話者:井川治久。井川塾・受験英語学院・塾長。元・早稲田予備校講師。元・代々木ゼミナール講師。早大・英文科OB。開成OB。)
TOKYO,JAPAN(都内・豊島区にて。)
*****
3・11以後、予備校や出版と、ほぼ無縁に。(2020年6月号) [ザ・ピンチコード2020年(令和2年)]
2020年6月12日(フライデー):
日誌:
気が付いてみると、
西暦2009年9月に、
◆『わかりすぎる!英語長文43の正攻ルール』(大学受験・超基礎シリーズ)
(株式会社 学習研究社・刊)
を出版したのを最後に、
◆「出版に対する執筆活動」に、ひとたび、終止符を打った形
となっております。
もし、また、出版に対する「意欲」が湧くことがあれば、
執筆活動に、従事する日も、あるかもしれません。
「3・11」の後は、
★「大学受験英語のマンツーマン(1対1)演習授業」に、
練馬区、および、「生まれた地元の豊島区」において、専念してきました。
近年は、
「目立った活躍」は、しておりませんが、
★「マンツーマン授業(個別指導)」という形で、「高校生・浪人生の人生の一助」
を担っており、
★「健康第一主義」にて、
★一日一日を、「極めて充実した人生」とするように努めており、
実現しております。
・・・・・・「ソネット・ブログ」から、「SSブログ」となり、
「コロナ休み」も明けたことですから、
せっかく、2006年に書き始めた当ブログを、
★何事も「継続は、力なり」という
★我がポリシーのもとに、
2020年6月から、
最低、月1は、更新するように、心掛けたいと思います。
★2020年6月現在、「予備校業界」とは、ほぼ無縁
となっている形です。
★「予備校業界」で活躍した経歴をもつ私
ですが、
「予備校業界」も、様変わりして、
「かつての予備校業界」とは、雰囲気を異にする感じがします。
★もはや、「塾」と「予備校」の「違い」を、感じ取れず、
★「予備校の格」は喪失されたという「噂」を、時に耳にするのみです。
TOKYO,JAPAN (都内・豊島区にて。)
*************************************************************************
追記:
「日々の授業記録」は、「マイベストプロ東京、井川治久」のコラム
に、つけております。
★「地道に活動している証(あかし)」
となります。
金ピカ先生と1988年1月に「フライデー」に載ったので、思い出深いです。 [ザ・ピンチ・コード2019年(令和元年)]
2019年(令和元年)9月25日号:
日誌:
今朝、ネット上で、知ったのですが、
◆金ピカ先生
が、他界されたとのこと。ご冥福をお祈りいたします。
実は、
◆金ピカ先生、すなわち、佐藤忠志氏
とは、一度も、お会いしたことが、ありませんでした。
たまたま、わたくしも、
◆「予備校業界」で(*学校法人・早稲田予備校で)教壇に立っていたために、
◆「同業者」「カリスマ予備校講師」として、
◆写真週刊誌『フライデー』の同じページに、一緒に、載ったもので、
思い出深いものがあるのです。
ですから、
この「ソネット・ブログ」に、記しました。
現在、私は、
◆2009年以降、本の執筆は、全くしておりません。
◆井川塾で、教えており、35周年を、迎えました。
(*公式ホームページを参照のこと。)
元祖カリスマ英語講師:井川治久。
TOKYO,JAPAN (東京都内、豊島区にて。)
英検準1級レベルの言葉の思考、生徒からの質問状(2018年・その1) [◆英検・準1級の生徒の質問]
年月日号:
・・・・・・「英検・準1級レベルの言葉の思考」生徒からの質問状(その1):
an irate driver の意味は、次のうち、どれか。
(1)「ゴルフのドライバー(長打用のクラブ)」
(2)「杭打ち(くいうち)機」
(3)「無免許の運転者」
(4)「激高したドライバー」
She bittely lamented her hapless fate. の意味は、次のうち、どれか。
(1)「彼女は自分の冷厳な運命に、苦々しげに直面した。」
(2)「彼女は自身の数奇な運命を、ひどく嘆いた。」
(3)「彼女の偶発的な運命は、痛恨の極みだった。」
(4)「彼女は自身の不運に、身も世もなく泣き伏した。」
(TOKYO,JAPAN。都内、豊島区にて。2018年11月20日4時55分。出題者:井川治久。)
書名:大学受験・超基礎シリーズ、井川治久の超基礎英語塾『もっとわかりすぎる英語のルール55』 [井川治久・著書(写真)紹介]
井川治久の著書(写真)紹介:
出版データ(出版記録):
◆書名:『もっとわかりすぎる!英語のルール55』
◆著者: 井川治久(いかわ・はるひさ: IKAWA HARUHISA)TOKYO,JAPAN
(*「井川塾・受験英語学院」塾長。)
◆創刊日(第1刷・発行日): 2005年7月
◆シリーズ名: 大学受験・超基礎シリーズ
◆本の正式名称:
「大学受験・超基礎シリーズ、井川治久の超基礎英語塾、もっとわかりすぎる!英語のルール55」
◆サブタイトル(本書のカバー):
英語がすらすら読める英文法&偏差値40から70への学習法
自分らしさを忘れずに、歩んでいこう。H,IKAWA (自筆サイン)
◆帯(カバーに緑色の帯がかかっている):
英語が読めなくて困っている人を救います!!
「英文法のオキテ55」で、高1・高2の基礎のキソから、大学受験レベルを突破できる!
30万部突破のベストセラー著者が贈る、受験英文法の決定版!
◆総発行部数: 3万部突破(2010年・第7刷、計3万5百部)
(本書カバーに記載):
著者: 井川治久(C) Haruhisa Ikawa 2005
発行人:太丸伸章
編集人:金谷敏博
編集担当: 野村佐和子
発行所: 株式会社学習研究社
印刷所: サンメッセ株式会社
書名:有名講師ハイテク講義『現代文入門11のおきて』(1997年・開拓社刊) [井川治久・企画書籍(写真)紹介]
出版記録:
書名(タイトル): 『現代文入門11のおきて』
著者: 保明陽子
出版社: 開拓社
発行(出版): 1997年
企画者(プロデュース): 井川治久 (*出版当時、早稲田予備校講師、代々木ゼミナール講師。)
シリーズ名 : 有名講師ハイテク講義シリーズ (* 全5冊。英語3冊。現代文1冊。古文1冊。)
書名:有名講師ハイテク講義『古文入門59のおきて』(1997年、開拓社刊) [井川治久・企画書籍(写真)紹介]
大学受験参考書・出版記録(1997年)。
◆書名(タイトル): 有名講師ハイテク講義シリーズ 『古文入門59のおきて』
出版社:開拓社
著者:村井玲子
企画者:井川治久 (出版当時:早稲田予備校講師・代々木ゼミナール講師。)
刊行:1997年
有名講師ハイテク講義シリーズ:
井川治久が企画者で、 全5冊から成る。(英語3冊、現代文1冊、古文1冊)
記録写真:『井川式・秘密の英文法ノート』(井川治久著・1996年刊) [井川治久・著書(写真)紹介]
書名(タイトル): 『井川式・秘密の英文法ノート』
シリーズ名: 大学入試合格圏シリーズ
出版日(発行日): 1996年7月・第1刷発行 *合計発行部数:2万4千部(第1刷~第3刷)。
著者: 井川治久(いかわ・はるひさ)
*早稲田予備校講師、代々木ゼミナール講師(出版当時)。
*井川塾・受験英語学院塾長(現在)。
出版社(発行所): 株式会社学習研究社(学研:GAKKEN)。
編集人: 山之内清
発行人: 細川正博
印刷所:岩岡印刷株式会社
特色 : カリスマ人気講師:井川治久の学校法人早稲田予備校・東京本校における1987年1月~1996年2月の「井川式・英文法講義」のうち、「基礎の9項目」にしぼって、井川治久本人が原稿用紙に書き下ろした「オーソドックス定番英文法の決定版」。高田馬場の300人大教室を満席にしていた当時の講義録。
ページ数:224ページ。
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記録日:2016年5月1日(東京都・豊島区にて)。
TOKYO.JAPAN
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『井川治久の超基礎英語塾・英単語頻出問題』(1995年・刊)の写真。 [井川治久・著書(写真)紹介]
◆書名(書籍タイトル):『井川治久の超基礎英語塾・英単語頻出問題』
◆刊行日(発行日):1995年3月
◆発行部数:2万部
◆著者:井川治久(いかわ・はるひさ)*学校法人・早稲田予備校講師 兼 町田校副校長(*当時)。
◆出版社(発行所):株式会社 学習研究社 (学研 Gakken)
◆シリーズ名:大学受験・超基礎シリーズ
◆サブタイトル:「やさしい単語の意外な意味」攻略本: 早・慶・ミッション系私大用(10日間征服)
◆編集人:山之内清
◆印刷所:株式会社太洋社
◆ページ数:112ページ
◆カバーのメッセージ:やれば、だれでもできる!
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書名:『井川のビジュアル英文精読教室』(開拓社1990年刊)。 [井川治久・著書(写真)紹介]
井川治久(いかわ・はるひさ)の著作物(写真)紹介 データ・その⑫ :
◆書名(タイトル):『井川のビジュアル英文精読教室』
◆サブタイトル:早稲田予備校での講義をそのまま本に!
◆帯のキャッチフレーズ:7日でマスターできる速戦速効タイプ
◆シリーズ名:アルファプラス・シリーズ
◆出版社・発行所:株式会社開拓社
◆発行日(創刊日):1990年3月30日
◆著者:井川治久 (早稲田予備校・英語科講師。早稲田予備校・町田校副校長)*出版当時。
◆協力者:斎藤克英(早稲田大学)*出版当時。
◆定価:660円。*出版当時。
◆発行者:長沼芳子。
◆印刷所:萩原印刷株式会社。
◆書評:
著者が、高田馬場、仙台、名古屋の予備校の校舎で、実際に大教室の授業で講義した「英文読解問題・6題のみ」を、そのまま「文字と図解で、まとめた」のが本書。当時の「100分授業X6回分だけ」の収録なので、予備校での「1学期の授業のうちの半分だけの内容」と考えて学習してもらいたい。
巻末付録:「井川方式・発音記号10大マスター法」
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◆付属品(別売品):『井川のビジュアル英文精読教室・カセットテープ』
◆吹き込み者:Gerri Sorrells。Thomas Clark。井川治久(Ikawa Haruhisa)。
◆編集長:山本安彦。
◆註: 画期的な本書が発行された当初の1990年においては、予備校講師の書く受験参考書に「アメリカ人吹き込みのリスニングテープ」が付くことは、極めて良心的な事であり、極めて珍しいことであった。
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書名:『早稲田大学受験・通信教育講義録』(第1巻~第4巻) [井川治久・著書(写真)紹介]
井川治久の著作物(写真)紹介 その⑪:
◆書名(タイトル):『早稲田大学受験・通信教育講義録』
◆巻数:第1巻~第4巻(全4巻)
◆著者:井川治久、木塚雅貴、一木千代子、川田拓矢、共著。
*各巻とも、4名の英語科講師による共著作。
◆発行所:学校法人・早稲田予備校
書名:井川治久の超基礎英語塾『頻出問題わかりすぎる!』(1993年・刊)。 [井川治久・著書(写真)紹介]
井川治久(いかわ・はるひさ)の著作物の写真紹介 データその⑩:
◆書名(タイトル):井川治久の超基礎英語塾『頻出問題わかりすぎる!』
◆サブタイトル:「穴埋めできたえて講義でとことん固める!」
◆シリーズ名:大学受験・超基礎シリーズ
◆略称:『頻出問題』*カバーの裏側に記載。
◆著者:井川治久(学校法人・早稲田予備校講師)*出版当時。
◆出版日・創刊日:1993年7月
◆出版社・発行所:株式会社学習研究社(Gakken)
◆編集長:山之内清。
◆印刷所:共同印刷株式会社
◆書評:1993年7月に刊行されて以来、発行部数が8万4千部を突破。大学受験・英語参考書のロングセラーとなった。
書名:『井川治久の超基礎英語塾わかりすぎる!』(1991年刊)。 [井川治久・著書(写真)紹介]
井川治久(いかわ・はるひさ)の著書の写真・紹介 データ・その⑨ :
◆書名(タイトル):『井川治久の超基礎英語塾わかりすぎる!』
◆サブタイトル:「奇跡の学習法と長文すらすら英文法」
◆シリーズ名:大学受験・超基礎シリーズ *このシリーズの第一弾が本書。
◆略称:『わかりすぎる!』 *カバーの裏に記載されている。
◆出版日(創刊日):1991年4月
◆著者:井川治久(学校法人早稲田予備校講師) *出版当時。
◆出版社・発行所:株式会社学習研究社(Gakken)
◆ページ数:160ページ
◆編集長:山之内清
◆印刷所:株式会社太洋社
◆書評:1991年4月に創刊後、30万部発行の「大学受験英語参考書のロングセラー」となった。
書名:『トップ講師の英語教室』(1989年刊・共著)。 [井川治久・著書(写真)紹介]
著作者:井川治久 の共著書(カバー写真)紹介 ・その⑧:
◆書名(タイトル):『トップ講師の英語教室』
◆出版社(発行所):ライオン社
◆発行日(創刊日):1989年8月。
◆著者:長崎玄弥、奥田俊介、佐久間治、瀬下譲、井川治久。
◆カバー写真:上記の上のほうの写真
書名:『古文単語のスゴイ覚え方333』(1994年刊)のカバー写真。 [井川治久・企画書籍(写真)紹介]
井川治久の企画による出版・書籍(写真)紹介・その⑦:
◆書名:『古文単語のスゴイ覚え方333』
◆出版社(発行所):株式会社ライオン社(東京都豊島区高田)
◆編著者:井川治久(いかわ・はるひさ)。小貝勝俊(おがい・かつとし)。阿部由晴(あべ・よしはる)
◆出版日(創刊日):1994年10月15日
◆本書の企画の趣旨:英単語と古文単語を同時に基礎から、らくらくマスターできる。
◆日本初の企画:古文と英語が苦手な君を救う日本初の単語集。
◆総合企画:井川治久
◆執筆:小貝勝俊
◆発行人:守谷孝
◆印刷所:壮光舎印刷株式会社
大学受験講座MAXシリーズ『らくらく現役合格の法則63』のカバー写真。 [井川治久・著書(写真)紹介]
井川治久・著書(写真)紹介 ・その⑥:
◆書名:『らくらく現役合格の法則63』
◆シリーズ名:大学受験講座MAXシリーズ
◆著者:井川治久・小川正人・菊田大一郎
◆企画者:井川治久(いかわはるひさ)
(C)Haruhisa Ikawa 1996 Printed in Japan
◆創刊日(出版日):1996年4月11日
◆出版社(発行所):株式会社・新声社(東京都千代田区内神田1丁目)
◆発行人:加藤博
◆編集人:高橋己代子
◆印刷所:倉敷印刷株式会社
◆表紙・章扉・レイアウト:エジマ企画
◆まんがイラスト:江島仁・寺村秀二
書名:『点とり英単語1234』。1996年・井川治久著。 [井川治久・著書(写真)紹介]
井川治久・著書(写真)紹介 その⑤:
◆タイトル(書名):
大学受験講座MAX(マックス)シリーズ はやく英文が読める 『点とり英単語1234』
◆付録 : 暗記用カラーシート。
◆註:本書は、1985年に出版された『マル秘英単語1234』の2色刷り改訂版。
◆著者: 井川治久(いかわはるひさ)
共著者(校正担当):小川正人 (おがわまさと)
◆発行日(創刊日):1996年4月11日
◆出版社:株式会社・新声社(千代田区内神田1丁目)
◆印刷所:倉敷印刷株式会社
◆イラスト:エジマ企画(江島仁)
井川方式・早大マル秘100%合格作戦。1987年・井川治久著。 [井川治久・著書(写真)紹介]
井川治久・著書(写真)紹介 その④: 書籍カバーの表と裏。
◆タイトル(書名):早稲田・慶応らくらく突破『井川方式早大マル秘100%合格作戦』
◆著者:井川治久(いかわ・はるひさ。東京都・豊島区。)
◆出版日(創刊日):1987年7月5日。
◆出版社:新声社(千代田区内神田1丁目)
◆印刷所:倉敷印刷株式会社
英文解釈マル秘解答術セブン。1986年・井川治久著。 [井川治久・著書(写真)紹介]
井川治久(いかわ・はるひさ)の著書(写真)紹介・その③:
タイトル(書名):早稲田慶応らくらく突破シリーズ 『英文解釈マル秘解答術セブン』
著者:井川治久(東京都豊島区)
発行日(創刊日):1986年8月5日
出版社:新声社(東京都千代田区内神田1丁目)
印刷所:耕文社
マル秘英単語1234。1985年・井川治久・小貝勝俊共著。 [井川治久・著書(写真)紹介]
井川治久・著書(写真)紹介。その②:
◆書名:早稲田・慶応らくらく突破シリーズ 『マル秘英単語1234』
◆略称:『ソク単』 *「まさにソク単(即覚えられる)」
◆著者:井川治久(いかわ・はるひさ)。小貝勝俊(おがい・かつとし)。
◆監修: 田島稔、椿本昌夫。
◆出版社:新声社(東京都千代田区内神田1丁目)
◆出版日(創刊日):1985年10月1日。
◆印刷所:耕文社。
◆帯のキャッチフレーズ:「受験生本位・・・だからいい」
マル秘英語暗記するだけ。1985年・井川治久著。 [井川治久・著書(写真)紹介]
井川治久・著書(写真)紹介:その①。
◆早稲田・慶応らくらく突破シリーズ:『英語暗記するだけ』
著者:井川治久(いかわはるひさ)
出版社:新声社(千代田区内神田1丁目)
出版日(創刊日):1985年7月1日
印刷所:耕文社
★あと、2019日で?(2015年1月13日号)。 [ザ・ピンチコード・2015年]
年月日 で、
西暦2020年の「東京五輪」まで・・・・・・あと2020日。
私たちも、次の5年計画で、新しい計画を、立てたいですね
私は、この2015年1月末日をもちまして、2011年から4年間にわたり務めてきました「ネオ開成塾・特任講師」を、引退いたします。 2015年は、「東京都豊島区の教室」にて、「井川塾のクラス」を、週2回、担当することになりました。
2015年は、「原点」に立ち返って、新しい「井川クラス」を、創ります
著者: 井川治久 (合格指導歴・31周年。東京都・豊島区。)
2015年1月13日(6:23)。
(2014年8月5日)★夏負けしている! Worn out due to this summer heat! [ザ・ピンチ・コード2014年]
年月日号
36℃ ・・・・・・ 酷暑 ですね。
昨晩は、一時間余り、 いい風 が吹きましたが、
すぐに止み。
今も、風が出ていますが、 風が 「生温い」 ありさま。
既に、 「夏ばて」 。
2014年の暑さは、・・・・・・ 異質 です。
エアコン無しには、
東京都内では、 勝てそうにありません
みなさま、御身大切になさってください。
(都内にて)
井川治久。
2014-8-5 (21:17)