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1984年当時、東長崎駅には、塾は3つだけか。 [ザ・ピンチコード2021年(令和3年)]

令和3年(2021年)5月10日号:


◆「1984年から1987年の覚え書き」:


生まれた地元である
東京都豊島区長崎の自宅の6畳1部屋で、
ボク(井川治久)が英語塾を始めたのは、
1984年4月のことであった。

この当時、
西武池袋線の東長崎駅の周辺、
豊島区長崎、
および、
豊島区南長崎には、
主として、3つぐらいしか、学習塾はなかった
と記憶する。

その存在を近所の誰もが知っていたのは、
(1)「つかさ塾」
(2)「豊島学習教室」
であり、
(3)「井川受験英語塾」
というボクが1984年に同級生と一緒にビラ配り
をして始めた塾である。
(実は、一番最初に刷ったビラの時点では、
「早大・慶大セミナー」という塾名であった。)


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・・・・・・令和の時代になって、
(1)「つかさ塾」は、東長崎駅北口に移転。
(2)「豊島学習教室」は、かつては「紅梅」
という中華屋さんの近所にあったと記憶する
が、南長崎の商店街に移転したあと閉塾した
とのこと。

・・・・・・ボクの個人塾、
(3)「井川受験英語塾」は、
* 1984年~1988年に開塾していたが、
* 1987年1月から井川が高田馬場の
学校法人早稲田予備校の大教室の教壇に立ち、
1988年から早稲田予備校・東京本校および
仙台校の専任・英語科講師として
引き抜かれたために、
いったん解散。
* 2015年4月に、
「井川塾・受験英語学院」に改名して、
マンツーマン受験英語塾として、
2021年度・現在、週3日の開塾をしている
ものである。


************************************************************

・・・・・・実は、1987年度の当時、
★ボク(井川治久)は「三足の草鞋(わらじ)」
を履いていた。

(1)午前中は、早稲田予備校の200人の
大教室で、大学受験英語の熱血講義を全力で
遂行し、
(2)午後は、早稲田大学・教育学部・
英語英文学専攻科に進学して
「英語学の研究」に熱中し、
(3)夜は、私塾である「井川受験英語塾」で、
5名クラスの受験英語の授業を2時間2コマ
(計4時間)担当していた。


*****

・・・・・・当時の「おもしろいエピソード」
があって、

▲1987年に早稲田予備校にデビューしたての
一年目だけは、
我が実力が評価されずに、1987年の1学期は、
一週間当たり
100分授業で3コマ半(3,5コマ)しか、
授業を担当させてもらえなかった。

・・・・・・そこで、1987年の夏休みは、
自分の塾「井川塾」で、
夏期講習の生徒を募集することに決めて、
生徒が集まっていた。
・・・・・・ところが、
当時の早稲田予備校の校長先生が、
早稲田予備校の夏期講習の方にも、
「井川クラス」を勝手に設置して、
生徒を集めてしまった。

★まさに、「ダブル・ブッキング」となって
しまったのだ!!!

・・・・・・こんなインシデントから、
★来年(1988年)からは、
早稲田予備校の専任になって、
好きなだけの授業のコマ数を担当してよい
と理事長が言ってますから・・・と、
校長先生に言われて、
「井川塾」の方を、1989年(平成元年)から
一時期やめる
という
「人生における選択肢」を、採ったのです。


★現在は、健在です。おかげさまで。

(話者:井川治久・塾長。早稲田大学英文科OB。
開成OB。「マイベストプロ東京」コラム著者。)

TOKYO,JAPAN(東京都・豊島区にて。)

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2021-05-11 01:37  nice!(0)  コメント(0) 
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