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開成中学に合格できる「12歳の記憶力」とは?。。。■人間心理研究■ ・・・・・・ [ザ・ピンチ・コード2006年]

[2][0][0][6][6]月号[霧]初回・ブログ[霧]

「頭のいい」人間の記憶力とか記憶量
といったものは、
どれくらいのものなのか?

一世代30年を生き抜き、
西暦2006年の43歳になった昨今、
急に、こんなことを考え始めた。

というのも、「過去の記憶」を辿ろうと(たどろう)としても、
以前ほど、うまくいかない。
その「以前」というのも、
「いつ」のことだったのか、
当然のことながら、
覚えていない。

とにかく、以前よりも、記憶が
薄れてきていることは、
確かだ。

思い立ったが吉日(きちじつ)。
自分の脳内に
残存している
せいぜいの記憶を
思うがままに
ブログに書き記してみようと思う。

仕事とか、
賞を取ろうとか、
考えてしまうと、筆が鈍る。
一冊の本
にまとめるとなると、
内容の重複がないか
などをチェックしているうちに、
思考停止に陥ってしまう場合が
ままある。
。。。。。。わたしの頭は、せいぜい、この程度だ。。。。。。

無料のブログなら、義務感が生じないから、
どんどんと
対話
が進む。
ブログの画面と、自分自身の脳との、対話である。。。

そもそも、「頭のいい」と言われている人が、
イコール「記憶力に長けている人間」
とは、限らない。

都合の悪い事は忘れて、
新しいことを
次々に、吸収していく人が、
「頭のいい」とされるケースも
実社会では少なくない。

「都合の悪いことを忘れる」というのにも、
少なくとも2種類ある。

(1)本当に思い出せない程までに、記憶から、消えてしまっている場合。
(2)「気分」を害するだけだから、普段は脳裏を掠めない(かすめない)ように、「記憶の引き出し」に
   そっと仕舞ってあるが、
いざ「引き出し」を開ければ、徐々に当時の場面が蘇って(よみがえって)くるという場合。

頭のいい悪いは、さておいて、
「記憶力・記憶量」だけをとれば、上記の(2)の方が上ということになろう。

しかし、
「記憶がいい」からといって、
必ずしも、「幸運」とは限らない。

思い出せなくて「不運」
ということもあれば、
思い出して「不運」
ということもある。

入学試験のときに、思い出せなくなったことがあれば、「不運」、、、、、、
ふつうは、「不運」と考える。
一方で、
「不運」に見舞われたからこそ、「幸運」に転ずる人生も数多くある。

幸運か不運かは、別として、
「記憶の引き出し」の並外れて多い人
とは、
どんな生活、人生を、送っている人なのか?

「記憶の引き出し」の多さを
自他共に認め、
さらには、
その「引き出し」の「入り組み具合」

理路整然と
説明
できるという人物がいらっしゃれば、
是非お会いしてみたい。

また、12歳における「記憶」
とは、
一体どんなものなのか?

つい、このあいだ仕事に就いたかと思ったら、
あっという間に20年もの歳月が流れ、
見当もつかなくなってしまった。

開成中学に
合格できる「12歳の記憶力」
とは、
どんなものなのか?
「思考力」は、
「記憶」に
どう左右されるのか?

43歳のいま、立ち止まって考えてみると、
「記憶」が
「思考」の邪魔をすることもなくはない
と感ずる側面があるが、

「記憶のいい」人間は、思考の邪魔をされることは
ないのか???

そして、それは、「幸運」なのか、それとも「不運」なのか。。。

また、
書きたくなったときに、
思うがままに、
綴ろうとおもいます。

[喫茶店]井川治久(いかわはるひさ。開成高校OB。著者。講師。)2006年6月2日(3:22)。。。ザ・ピンチ・コードno.001 ★初回投稿。





2006-06-02 01:51  nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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